書く理由
書く理由
年初の気まぐれで書くことを始めて、二ヶ月が過ぎました。
三日坊主は乗り越えたと言えそうです。
作文から遠ざかっていることに気が付き、時間を割いて向き合ってみようと思ったのです。
いざ向き合ってみると、語彙は乏しく、漢字も変換機能に助けられている現実に直面しました。
そこで更に時間を割き、下書きを手書きにして、書けない漢字は辞書を紐解くことにしました。
子供のころの学習をやり直すようなものです。
もう長い間、長文を手書きしていなかったこともあらわになり、まともに書けませんでした。
本来あるべき状態への回復、私にとってこの作業は、文字通りのリハビリテーションです。
私が考えたことなど、本来は公にする必要はありません。
つまらない能書きばかりを垂れてしまう可能性もあるし、何処かで何かで甚だしく迷惑を掛けた人たちの目に触れれば「なんだ偉そうに」と不快な思いをさせてしまうかも知れません。
けれども私にも仕事があり、多かれ少なかれ利害を共有する人がいます。
私と利害を共有しても良いものか、判断材料を探したい人もいるでしょう。
一編なら、嘘も書けるし、うわべを飾ることもできます。
しかし書き続けたものは、そうはいかない。良くも悪くも、私の人となりが滲み出るに違いありません。
つまり公に書き続けることには、社会人として、知ってもらうという利点もあると思うのです。
制限せず公開していますが、読者を増やそうと努めることはしません。
訳あって、あるいは縁あって、辿り着いた人の目に触れれば充分です。
見映えのしないウェブサイトですが、私的にも、公的にも、役割を持ち始めています。